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2005年 07月 22日
違うのよ? あたしは強くなんかないの。 根底が弱いから、そうやって律していないと、落ちちゃうの。 一年ぶりに会った男性から言われた。 「君は相変わらず強いね~。」 違うのよ。 弱さを認める強さを、保持してしまうと、上がらなくなっちゃうの。 だから、弱いところを克服して、強くいく、そういう選択肢しかないんだよ。 弱さを容認する強さは、羨ましい。 それは根底が強い人だから、弱さを受容できるんだ。 たぶんあたしは持ったとしても、使っちゃいけない。 根底が脆いから、弱さを受容してしまうと、大変なことになる。 そういう種類の人間なの。 強いんじゃないの。 弱くあっちゃいけないのよ。 そういう人間なの。 この電線のように、中々切れないだけで、 切れたらとたんに大変なことになるんだから。 哀しいけどね、そういう人間もいるものなのよ。 #
by constant_a_part
| 2005-07-22 21:45
2005年 07月 20日
今朝の電車のアナウンス。 とある駅で、ドアが開き、いつもの如く、たくさんの人が乗ってくる。 ことなく開いたドアは閉まり、たくさんの人を乗せ、さて動きだすかというところで ピタリと止まると、なかなか動き出さない。 30秒間くらいだろうか、とても長く感じた。 明らかにトラブルがあって、止まっているのでは?という認識に変わりそうになった頃、 即座に男性の声で、こう入る。 『お客様にお知らせいたします。ただ今、車両に不具合が発生したため、原因調査中です。 確認次第、発車致します。』 まぁ普通な表現で、普通の出来事。 駅構内は、駅員さんが大慌てで大声を出しながら駆け回って調整している。 その5分後くらい、 『大変お待たせいたしました。発車いたしますご注意ください。』 ことなく、列車は動きだした。 その直後のアナウンス。 『お客様にご案内いたします。ただ今、車両の不具合により、安全確認を行っておりました。 お客様には大変ご迷惑をおかけいたしました。あらかじめご了承ください。』 ・・・・・・・?? あらかじめ? あらかじめご了承ください? いやいや、そんな予期せぬこと、あらかじめ了承くださいと求めるのは失礼なのではないか? とあたしは思った。 しかも淡々とした口調で言い放った。 何の重みもないまま。 その言葉は吐き出され、何の効力もないまま、逆の向きで人のココロに刺さる。 例えば人身事故のような不可抗力で電車が遅れる場合でも、その会社の駅員さんや乗務員はとりあえず謝る習慣がある。 けれど、列車の故障というものの場合、明らかに過失はその会社サイドにある。 そこにはなんの不可抗力も発生していない。 けど、謝り慣れることで、そして、違う言葉を組み合わせてしまったために、 過失を認めるということをしないまま、彼はその言葉に何の責任も持たないまま、 言い放ってしまった。 何の意もなく。 マニュアル化は怖い。 そして、仕事を “ こなす ” ことと “ 慣れる ” ことは違う。 人の死に慣れ、麻痺した看護師と、その死を受け止め、こなしてく看護師。 慣れることは、決して、こなすことじゃない。 どんな仕事も、あえて慣れないで、きっとこなしていかなきゃいけない。 仕事ってきっと、傷みやすい生モノのようなものだから。 #
by constant_a_part
| 2005-07-20 09:05
| think...
2005年 07月 16日
今、私が利用する通信手段をすべて遮断したら、 わたしは誰と、現在どこまで繋がっていて、これから繋がっていられるんだろう。 携帯電話も解約して、プロバイダーとも契約をきって、 私は誰と、どこまで繋がっているのだろう。 それだけ、リスキーな世の中に、 薄いギリギリのラインで関係性が成立している現実。 そしてもちろんそれは切れやすく、細く繋がっている。 当たり前にそばにあるその脆い通信手段は、その希薄性がうやむやになっているけれど たったひとつの操作で、たったひとつの行為で、関係をプツリと切ることだってできる。 実際、一昔前なら、通信手段は手紙だった。 しかもほんの10年くらい前まで。 でも今は、相手が住んでいる場所なんてわからなくても、コミュニケーションが取れて、 携帯さえあれば待ち合わせをして、電話をかければいつでも会える。 だから、近くにいるような錯覚をする。 けれどそれはやっぱり錯覚であり、実際の拠点としている場所や生活は、 個々人にしっかりあるのは当たり前で、それを中心に、そこで生きているほうがリアルで。 最寄駅を聞いたくらいで、その人の家を知ったような感覚になる。 それは、いつでもあの希薄な通信手段により、連絡がとれる状態がそうさせる。 ITによる通信手段がなくなっても、繋がっていられる関係なんて、 どれくらい稀有なんだろうと思う。 私の思春期には、すでに携帯電話という通信手段が確立していた。 それを使わない恋愛などしたことがないし、わからない。 いつでも電話をかけたいときにかければ、相手がでる。 ボタンをピコピコと押し、メッセージを送れば、それが虚偽でも満たされてしまう。 母たちの時代の、古風な恋愛、価値観。 一昔前の、とてもシンプルな関係性。 そういうものに、リアルを感じる。 氾濫する通信手段は、相手が向こうにいるというリアルを、 迷いもなく残酷に、うやむやにする。 #
by constant_a_part
| 2005-07-16 09:29
| think...
2005年 07月 13日
付き合う、という既成事実で生まれる権利になんて魅力を感じない。 好きなら、惹かれあっているなら、そんな既成事実なんて必要ない。 気付いたらそばにいて、気付いたら愛し合っている。 どうして人は、それを作りたがるのだろう。 囲いこむことで、確信が欲しいから? 囲いこむことで、権利が欲しいから? 不安定な道は、嫌いなんでしょう? それは弱さなのか、それともリスクヘッジなのか、計画性があるのか、よくわからないけど、 私はそれには魅力を感じない。 安全な道には、それ相応な感動しか伴わないから。 ただ、それだけ。 #
by constant_a_part
| 2005-07-13 09:06
| think...
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